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高校演劇'16~兵庫県大会編~

第60回兵庫県高等学校演劇研究大会中央合同発表会こと、2016年の兵庫県大会。
11月17日~19日の木金土という変わった日程の中、初めてのホール、太子町立文化会館あすかホールで行われました。

今年も気になったお芝居を上演順にピックアップしていきますよっ!

■雲雀丘『光が届くまで』
2016年、阪神支部が問う震災とは?
学校の空き教室が舞台です。

有志による文化祭の出し物。
「光のアート」をやろう!と空き教室を使う許可をもらったみき。なんとか人も集まってきたとき、スマホから緊急地震速報のアラームが鳴る!

神戸で地震というと、真っ先に浮かぶのが阪神淡路大震災。甚大な被害を受けた被災地だ。
けれどその震災ももう21年も前のこと。今の高校生はまだ生まれていない。彼らにとっては神戸が被災地という直接的なイメージはないのだろう。

地震が起きて、東日本大震災や熊本の地震のことを思い出したという登場人物たち。
「光のアート」のテーマを「震災」にしようという仲間たちに違和感を覚え、「嫌や」と反対し飛び出していくみき。
友達も誰も知らなかったが、みきは福島からの移住者だったのだ。小5で震災に遭い、小6でこっちに転校。けれど、福島から来たというだけでいじめに遭い、いじめから逃れるために必死で関西弁を覚え、小学校の同級生がいない高校へ進学したのだという。

そうか。それが今の神戸の高校生の現実か!と思い知らされた。
神戸はもう被災地ではなく、被災者を受け入れる土地になっていたのだ(もちろん、阪神淡路大震災から完全に復興しているわけではない。だが、今回のお芝居は、現在の高校生の視点であり、そこがテーマではない)。

みきにとっての震災はいまも続いている。東北の復興もまだまだだ。
しかし、人は忘れる生き物なのだ。哀しいがな。辛いことも楽しいことも忘れてしまう。

福島の現実の一端を、神戸からいま問われるとは思ってもいなかった。
いろいろ考えさせられるのである。神戸とは違う、福島の二次的な人災を。


■県立東播磨『アルプススタンドのはしの方』
え?創作脚本吉山賞って本当ですか!?
舞台は甲子園のアルプススタンドのはしの方!

今大会で一番注目していたお芝居。
なぜって、顧問として帰ってきたY先生が、初めてつくってきた顧問創作だから。

甲子園のアルプススタンドのはしの方で、母校の応援にやって来た(かり出された?)4人の物語。
このお芝居がただものじゃない!と思ったのは、終盤に入ってきた頃から。その頃になってようやく「暗転なしだ」と気づいた。そして、音響が途切れないことに。

陰の功労者は、間違いなく音響さんだ。
ラストで一瞬音がなくなる(故に舞台が引き締まる)以外は、ずーっと甲子園の音が流れている。それは、ブラバンの音であったりウグイス嬢のアナウンス、金属バットの音、歓声。
全体的にとても丁寧につくられていて、そこが甲子園のスタンドだとすぐわかる。すーっとその世界に引き込んでくれる。

残念なのは、金曜日の上演だったため、客席が閑散としていたこと。
このお芝居は、大ホール向きではない。大きくてもピッコロシアターとか、もっと小さな小劇場に向いている気がする。小さな空間で、観客を巻き込んで、濃密に熱量を上げていく感じの。

台本にも仕掛けがいっぱいある。
兵庫県の多くの演劇部に、手本にして欲しい。そんな風に思える作品。


■県立御影『わたしはかもめ』
最優秀賞は確実だと思ったけれど......。
ラストシーン!

チェーホフをモチーフとしたF先生の作品、再び。です。

音と光を巧みに使った演出は流石としかいいようがない。特に幕開き、爆音で流れる爆風スランプの『学生時代』と、サスで次々と抜かれていく役者たちはカッコイイ。すっとその世界へ引き込んでくれる。
ほとんど去年と同じメンバーだから、演技レベルが上がっているのがよくわかる。それと同時に高い演技力が求められる作品でもある。細かなそれぞれの想いが描かれなければ、成立しない世界。間違いなく今大会で一番丁寧なお芝居をしている。

私がこの作品で好きだったのは、ラストシーン。
チェーホフの『かもめ』を演じようというトベとアオイ。トベのみパントマイムになり、アオイは別の場所へ──。
そのシーンに物足りなさを感じた。なぜだろう?
実は私はこの作品を観るのは二度目だったのです。


■県立長田『Dear Future』
今年、話題として避けられないのは東播磨と長田なのです。
ボックスを巧みに使ってシーンを繋いでいく

10年ぶりに県大会へやって来た長田高校。そして11年ぶりに最優秀賞を獲得した長田高校。
その両方に噛んでいるのが、いま東播磨を率いているY先生なのですね。あの頃、Y先生は長田の部員だった。なんという運命のいたずらなのか。

かつての長田からの伝統も感じられるし、その転換は昔の東播磨を少し思い出させる。
ボックスを巧みに利用して、童謡を唄いながら転換し、様々な場所と時間経過をシームレスに繋いでいく。それは単純にアイデアの勝利。

個人的には、もっといろいろな葛藤が観たかったとも思うけど。
余命宣告された智慧の葛藤。それを告白された親友の葛藤。すべてを知ったみんなの葛藤。この問題には、おそらく答えはない。そして、「覚えていて欲しい」という智慧の想い。
けれど、怒った部長はとっても良かったのです。


■県立西宮今津『ベティ=ジェーン』
照明がとってもキレイ
雨の日。

おばあちゃんの家にひとりで住んでる不登校の女の子。そこへ何人目かの家庭教師がやって来る。二人は物置から古い焼け焦げたアメリカ人形を見つけ出す。

いつもの西宮今津と違う。いつもより断然いい。それは、フィクションにちゃんとした裏付けがあるから。演じている二人が、ちゃんと信じているから。
特徴的だったのは、照明のキレイさ。雨の日の薄暗さ。雷。どんどん暗くなっていく。
多くの高校演劇は、照明を暗くすることを嫌う。表情が見えなくなるって。でも、本当はそうじゃない。役者は顔だけで演じているわけじゃない。役者は全身で演じている。時として暗い照明も特別な効果を生む。
このお芝居も、暗くなった照明と共に、観客のその一点に集中していく効果を生んでいたような気がする。




今大会、一番印象に残ったのは、長田の涙と御影の涙だ。
最優秀賞を獲得して近畿大会へ行けることになった歓喜の涙。近畿大会を目指していたのに何の賞も獲れず流した悔し涙。なんだかそこに、演劇が集約されているような感じがした。
そして、東播磨は想定外のことが起こったように呆然としていた──。

良い作品をつくったからと言って、必ず上位大会へ進めるわけじゃない。
スポーツのように判定はハッキリしない。何か心に留まるものがあれば、それだけで一点突破出来たりもする。
けれど、突き抜けていれば、それはやはり上位大会へ進めるチャンスが得られる。

自分たちのやりたいことがちゃんと形になっていれば、それは賞に関係なく誇れることなのです。
それが高校演劇のコンクールの世界だと個人的に思ってる。

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